可視と不可視 〜不可視の力が重要

不可視の部分とは

世の中には可視の部分(見えやすいもの)と、不可視の部分(見えにくい・見えないもの)が存在します。

この2つのうち、この不可視の部分をどれだけ意識して着目し、想像したり可視に近づけられるかが重要です。

多くの人は可視の部分だけに着目してしまい不可視の部分にまでたどり着かない。いやたどり着こうともしない。

例えば、私が我が家で「何か家族で出かけよう。どこがいい?」と言った時、長男が「う〜ん…じゃあ…図書館とかどう?」と言いました。私は「おや?長男なら〇〇公園のような体を動かせるところをいいそうだけど図書館か。この間読みきかせた本がおもしろかったのかな?」ぐらいにしか思っていませんでした。

図書館の帰りに、長男に聞いてみました。
「そういえばどうして図書館がよかったの?本が好きになった?」
「いや、そんな好きじゃないよ〜」
「じゃあどうして図書館がいいなんて言ったの?」
「いやこないだ僕が公園行きたいって言って公園に行ってもらったし、〇〇(次男)が、本好きそうだったから…」

長男は自分のことよりも次男のことを考えてした意見だったのです。

子供たちの発言一つ一つには必ず意味があるはずです。
その“意味”こそ「不可視の部分」なのです。
大人はこの不可視の部分にもっと敏感にならなければいけないですし、深読みしなければならないのです。

気になる言動こそ

子供の気になる言動ってありますよね。
例えば
・友達に悪口を言った。
・授業中に席から離れて廊下へ出て行ってしまった。
・宿題をやってこない。
・不登校

でもここに書いたことは全て可視の部分(見える部分)です。
この言動の不可視の部分にどれだけ目を向け、想像したり調べたりできるかが重要です。
先生方はこれを「背景」と呼ぶ人もいます。
この「背景」を多く考えられれば考えられるほどいいでしょう。

例えば、「宿題をやってこない」という事実だけに目を向けて「何でやってこないんだ!」と叱るだけではナンセンスです。
宿題をやってこない背景に何があるのだろう。
例えば
・ゲームが好きすぎてゲームばかりやっている。
・習い事が忙しすぎて宿題をやる時間がない。
・家庭がヤングケアラー状態である。
・「宿題をやらない」ということで先生の気を引きたい。

これが分かることで対応がガラッと変わってきます。
やれない事情があるのであれば、「叱る」という行為は全く的外れで意味のない指導になっているのです。

私は過去に、いろいろ聞いたり調べたりしていると「お兄ちゃんに宿題をやるなと脅されている」という子もいました。
私は「やらなくていいよ」と伝え、本人と親御さんと相談し、学校でできる課題を少しずつやりました。

不可視の力が人と関わる土台をつくる

現代は、人との関わりが希薄となりそのことが原因だと思われる事件なども起きています。
いじめもSNSなどの書き込みもそうでしょう。

多くの人が不可視の部分により着目し、想像力を働かせれれたら、このような事件も減るでしょうし、学校や職場での心無い言葉で傷つく人も減るでしょう。

子供たちにこのような力を身につけたいなと思いますし、まずは私たちがそのような意識を高く持って子供たちと接していきたいものです。

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