教育で忘れがちなこと
最近私がある方にお話ししたことを書きます。
先生方や集団を束ねている人は是非読んでほしいのですが
真面目な話なので興味がない人はスルーでOKです。
結論から言うと、現在の日本教育では、いろいろな子供たちが同じ集団に混在しています。
そして現在の日本教育において、指導者は特に課題を持っている子、(少し言い方は過激かもしれませんが、わかりやすく言うと)低位の子にどのような支援をしてあげたらよいかを強く意識します。
もちろんそれは必須です。その子たちを置き去りにしている指導者は絶対にダメです。
ただし今回私が言いたいのは、「できのいい子(高位の子)」が置き去りになっていませんか?ということです。
同じことをやっていても、低位の子はすごく(大袈裟に)褒められるのに、高位の子は「当たり前だ」と褒められない。
低位の子への支援を行うがゆえに、高位の子が置き去りになっている。
日本教育では盲点になりやすい部分です。
飛び級制度も(ほとんど)ない日本教育において、高位の子がさらに伸びるのにはとても難しい現状にあります。
ただ、私が見てきた多くの先生方の中でも、もちろん高位の子にも低位の子にも平等に伸びるための支援をしている先生もいました。こういうクラスでは全ての子供たちがイキイキとしています。
私がクラスを見るときには実は能力の高い子を見ます。
能力の高い子が「そんなもん知ってるよ」と授業がつまらなそうな顔をしているか、それともそういう子も「う〜ん」と悩むような素晴らしい課題(問い)を提供しているかが勝負の分かれ目でもあります。
課題でなくてもいいでしょう。
その子が周りの子に分かってもらいたいと必死に説明している姿もいいでしょう。
別の解き方を考えさせてもいいでしょう。
授業(学習)だけではありません。
普段から“いい子”“気の利く子”に対してきちんと認め価値づける言葉をかけていますか。
やってくれて当たり前ではありません。
これは兄弟でも同じです。
お兄ちゃんお姉ちゃんであってもやって当たり前ではなくきちんと褒め、認め、価値づけてあげたいものです。
できないことに目を向けるのは誰でもできます。
できていることに目を向けるのは意外と難しい。
だからこそできていることにしっかり目を向けて、しっかり価値づけしてあげたいものです。