運動会の種目や配慮 選抜リレーはなぜ「無くす筆頭」なのか

運動会の種目が一昔前と大きく変わりつつある。
先生方の準備の観点、子供たちの体力低下の観点、安全面の観点など様々な影響を考えてのことだ。

運動会の内容が学習指導要領から大幅に外れ、この業務過多な学校教育の中で、「運動会の練習」という名の大量の謎の時間(体育?学活?)を生み出すのは厳しくなっているし、そもそも体育は運動会の練習のためにあるのではない。運動会が体育の成果発表ためにあるといったほうが正しい。

ただ、それと矛盾することを言うかもしれないが、一つ私見を述べさせてほしい。

運動会は発表会でもある。
子供たちや大人にとっても一大イベントであることは変わりない。

最近は苦手な子への配慮があらゆる場所に見られる。
もちろんそれは必須でありやらなければいけないことだ。

ただ、それに伴って、得意な子の活躍の場まで削るのは間違っていると私は思う。

「運動が得意な子」「走るのが速い子」は運動会が活躍の場だ。
勉強は本当に苦手でいつも苦しんでいるけれど、運動は得意なんです!という子はどの時代にもいる。

その子へ活躍の場を確保してあげることは極めて大事だと私は思う。
それは、体育の時間でやってくれと言われるかもしれない。
でも、運動会の影響は絶大だ。多くの親御さんが見に来るし、全校児童が見ている。

特に「選抜リレー」なんてその活躍する場の筆頭だろう。
選抜リレーメンバーに選べれるだけでも子供は誇らしく、すぐ親に自慢げに報告するものだ。
選ばれなかった子は悔しがり泣く子もいる。
選ばれた子は「代表」であるという思いを胸に頑張るし、選ばれなかった子も自分のクラス(やチーム)が勝って欲しいと願い声が枯れるまで応援する。
親御さんも力が入る。自分の子が出てないのに、自分のクラス(やチーム)を必死に応援している自分がいる。

所属感ってこういうときに養い、強くなるのかなぁと思う。
ただでさえクラス対抗のイベントがなくなってしまった今、貴重な場面だと思う。

でも、削られる種目筆頭でもある。
そもそも運動会自体縮小していく方向にあるので、種目を精選していかなければならない。
“選抜”という一部の人間しか出ない種目は、優先的に削られ、できるだけ子供たちに多くの出番を与えられる種目が優先される。

でも、個人的には“選抜”というところに価値があり、選ばれていない子供たちにとっても価値のある種目であるとも思うのは私だけだろうか。

運動だけが取り柄なんですという子を救ってあげてほしい。
そういう子の自己肯定感を大幅アップさせる貴重な場面なのです。

もちろんそれが運動会(選抜リレー)以外の場面でもいいのです。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です