勝ち負け

春の運動会が多くの学校で開催されました。
中学生も含めて、子供たちから出てくる最初の言葉は、順位や勝ち負けです。

もちろん結果ばかりに左右されてはいけませんが、これは子供たちの本心であり、運動(スポーツ)の根幹だと私は思います。

結果に左右されてはいけないからといって、「勝敗を取り除く」作業は私は違うと思っています。
むしろ教育すべきは、その勝敗から何を学ぶかであって、それを上手に導くのが教育者の仕事だと思います。
勝敗のない活動ばかりを行っていくのは、教育を放棄しているといっても過言ではありません。

そうすると必ずといっていいほど、「苦手な子が・・・」という意見が出るのですが、私はそれに対して「では、得意な子は・・・」と返してしまいます。得意な子の活躍の場を奪うという考えも忘れてはいけません。また、苦手な子にとっても、それに向き合う機会を奪ってしまうことは本当にその子にとっていいのかと考えてしまいます。

実際、学校教育の根幹である教育指導要領「体育」でも以下のような文面があります。

「競い合う楽しさや喜びに触れる」
「公正に行動する態度、特に勝敗をめぐって正しい態度や行動がとれるようにすることが大切である」

つまり教育すべきはここだと示されています。


このような話をするのも、実は私自身これがとても苦手な子供時代を過ごしたからでもあります。
小学校高学年になっても、体育の授業のポートボールで負けて(負けたくらいで)シクシク泣いていました・・・。
「負けず嫌い」といえば聞こえはいいかもしれませんが、先生からしたらなかなか扱いにくい子供だったかもしれません。
習い事のサッカーでもそうでした。うまくいかなったり、負けに近づいてくると、感情のコントロールがうまくいかず、当然ながらミスをより誘発してしまうという悪循環に陥ってしまいます。
当時の先生やコーチには感謝しかありません。ある意味上手に私をほっぽらかし、自分でその事実と向き合う時間を与えてくれたのだと思います。

負けたという事実をどう受け入れ、自分の中でどう考えるのか。
どのように感情のコントロールをするのか。

負けたことを「仲間」「対戦相手」「審判」「環境」といった自分以外のところに向けて、自分を正当化することはいいことではありません。私の記憶には残っていませんが、もしかしたら私もそういう言動をとっていたのかもしれません。「○○さん、もっと頑張ってよ!!!!」「今の判定は違う!!!!!」と・・・。そうであったらその当時の周りの皆さんに謝ります。

勝っても同じことが言えます。
勝って喜ぶことはとても大事だと思います。感情を表出させることはとても大事です。
でも、そこには負けた相手がいるという事実も頭の片隅に入れておくことが大事かもしれません。

でも勝って喜ぶことは当然で、度が超えてなければそれは必然です。
ですからその姿を見て、負けた子たちが怒ることはまたそれも違います。

勝った負けた、できたできなかった、うまくいったいかなかった
人生はその連続です。
負けた、できなかった、うまくいかなかったから、もう嫌だとそれをすぐに投げ出してしまう人になってほしくありません。
負けた、できなかった、うまくいかなかったから、感情のコントロールを失って間違った言動をする人になってほしくありません。
その事実を上手に受け入れて次のパワーに変えられる人になってほしいですし、周りの人間にもいい影響を与えれらる人になってほしいです。

それを学ぶのに、運動(体育・スポーツ)は最適だからこそ、私のスクールでも勝敗の要素はできる限り排除せずに取り入れていきたいと思います。

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